前回の漫画を描いて気付いたことがあります。
シャーレイ、こいつ、漫画のほうが生き生きしてやがる。
なんかね、小説のシャーレイってば、ストーリーに沿って喋らされてる感がひどかったんですよ。
キャラクターじゃなくてただの記号だった。それが嫌で書くのを中断していた。
それが、「漫画より小説書け!」という明確な意思を持ったことにより、命が吹き込まれた感じ。
なんたる皮肉。「書かれない小説のキャラ」。明らかにこっちのポジションのほうが美味しい。
もはやあの小説は、そのキャラ付けのために存在していたのではなかろうかってレベル。
もう、ただの記号でしかない小説には戻れない。
そんなこんなで、結論。
春をぬすんだカエルの話は没にします。
そういえば、今まではっきりと「没にします」と宣言したことってなかった気がします。
なんかこう、なんとなく消えて行った感じ。
没宣言って、なんだかんだで勇気いるんですよ。
はっきり宣言できない理由って、大きく二つに分かれると思うんです。
「やっぱり完成させたい」という気持ちが元の場合と。
「あーあ、完成させられないなんてこいつクズだな」って気持ちが元の場合。
前者はいいんですよ。
扱いが難しいのは後者。
ネガティブな感情ではありますが、自分を奮い立たせるぶんにはいいんですよね。
何かを続ける理由として、多かれ少なかれ誰もが持つものだと思います。
しかし度を過ぎると身を滅ぼします。ネガティブな動機なんてそんなもんです。
今回は、没宣言しにくい理由が99%ぐらい後者だったので、もうスッパリと没にしました。
惰性で作った作品って、受け狙いで作った作品と同じで、どこか魂を売り渡した感があるんですよね……
たとえ完成して、人様に受けたとしても、自分が嬉しくない。
これはモノを作る人ならけっこう味わったことのある感覚じゃないでしょうか。
いやー、没宣言してすっきりした。
やっぱネガティブな動機って、度が過ぎるとよくないですね。
「続けたくないものを続けない」。こんな選択肢があったなんて。
なんか世界があるべき姿を取り戻した感じ。
もう進めることも嫌なのに、やめることが許されないって地獄ですね。デスマーチですね。
仕事なら仕方ないかもしれないですけど、趣味の世界で、表現したいものを失った創作に何の価値があるのだろう。
大樹なんかは逆に、ずっと「やっぱり完成させたい」のほうを引きずってて、没宣言ができない代物だったりします。
もう長編を作る体力なんて残ってなくて、完成させられないのはわかってるのに、愛着があって捨てられない。
これはこれで難儀なものです。
はくしゅへんじ。
> クリアダイスってロマンですよね私は20面ダイスだけクリアなんですが、クトゥルフの限られたタイミングしか使えない
あと10面ダイスとか20面ダイスって回して遊ぶと楽しい
クリアダイスはロマン、多面体ダイスはロマン、そしてそれが合わさった多面体クリアダイスはさらにロマン!
20面ダイスってフォルムの丸っこさと三角形の面という組み合わせが萌えるよね!
特に理由もなく回して遊んでしまうあるある。
> 正ねじれ双五角錐1個なら1d10だからまだ現実的
やったー再録分が7本あるから書き下ろし3本で済む!
……本、ペラッペラやがな。
文庫サイズでペラペラって悲しいもんです。
うすくてたかいほんはB5とかA5だから薄くても悲しくないんだなあと思う今日このごろ。
> (グラフィック変更ダッシュの件)
報告ありがとうございます。ダウンロードページに書いてありますように、バグ報告および質問にはお答えできません。ご了承頂いた上でお使いください。
とりあえず単純なことなので書いておきますと、これは座標系とは特に関係ないスクリプトですので他のスクリプトが原因だと思われます。
このスクリプトが原因の場合はジャンプイベントの直前に無効化スイッチをオンにして回避するのも一つの手です。
> ちくしょう! 9か に とうこう するという よそう が はずれて しまった ! ▼
おまえの おもいどおりには させん ! ▼