おはようございます。
おはようございますの時間じゃないような気もしなくもないですが
三連休の真ん中の12時というのは早朝です。おはようございます。
なんでこんな時間に日記書いてるかって話ですよ。
いやそもそも、なんで急に日記書いてるかって話ですよ。
大樹の制作を再開する夢を見ました。
まあ夢を見たこと自体は特にミラクルではないんですが、
そこのテンションがえらくノリノリでね。
「やべー、世界変わったわー、作るのたのしー!」となっていましたが、
そこは夢にありがちなアレ。目が覚めたら忘れたっていう。
夢の中で何か作って「このネタすげー面白い!」って思ったのに
目が覚めてみたら「なんでこんなの面白いと思ったんだろう」となることなんて
よくあることです。
でも目が覚めてから、今までにないような晴れやかな気分ですわ。
内容はどうでもいいんです。
ただ今朝は気分がいい。
気分がいい日は日記を書こう。
「日記を書かなきゃ」とか「これは日記のネタになる」と思うことは
ちょくちょくあったけど、
「ああこれは日記に書くもんだな」とごく自然な気持ちになったというか。
書かなきゃという焦燥感が特にないってのはめずらしいもんです。
……で、何が書きたいんだろう。
大樹が、ツクールが、このサイトに関わる全てが、
特に何か嫌なことがあったわけでもないけれど、なんかもう疲れて
思い出すだけでもウゴゴゴな気持ちになるぐらいだったのに。
なんで急に気分がよくなって、日記を書こうと思ったのか。
何が書きたいのか。
たぶん、楽しさを再認識したとか、こうすれば楽しくなることがわかったとか
そういうのじゃないんですよ。
大樹の夢を見たことすら関係ないのかもしれません。
いきなりわけもわからず精神の深い闇に落ちることのある世界、
世界の見え方なんてそんなあやふやなものだと
身をもって知ったここ数年間なので、
わけもわからず光が当たったところで特に不思議ではありません。
なんで気分がいいかって、たぶん理屈じゃないんですよ。
というか「なんで」って考えると「やっぱり楽しくないよなあ」って結論になるもんなんですよね。
「今日は自分の気分はいいか」って気にしだすと、最終的に
確実に「ダメだ……」って結論に陥るわけで。
「今日はあの暗い気分はいるかな、よし、いない、大丈夫だ……いや、やっぱりいるー!」みたいな。
気持ちだけが先にあって、因果関係がはっきりしないから、
こういうのは日記のネタには向いてないんですよね。
いやそもそも何が「こういうの」かもよくわかりません。
編集長に「で、君は何が言いたくてこれを書いたんだね?」って言われるレベル。誰やねん編集長。
書き手自身もわかってないものが読み手に伝えられるわけがないし、
伝わらない文章って意味がないわけで、こんな日記アップする意味がない、
なんで書こうと思ったんだ、冷静になるべきだ、書く意味はない、
日記を書きたいと思った気持ちは錯覚だ、楽しい気持ちは錯覚だ、
この文章なんて無意味だ、この文章なんて無価値だ、やめよう。
この人生なんて無意味だ、この人生なんて無価値だ、やめよう。
だいたいそんな流れ。
これはやりすぎとしても、エターナるときってこんな感じになってますよね。
「日記」「文章」の部分を「作品」に変えて読んでみると。
まあ、単純に、日記書くのが嫌になるのはですね。
文脈が繋がらなくて文章構成考えながら書くのがしんどいから
「ちゃんとした文にならん、こんなん書くのしんどすぎるわ、書くのやめたい!」
って気持ちが奥底にあって、書かない理由を脳内サーチしてるだけなんでしょうけど。
んもー、こんなん書いたから、無敵状態が解除されて
普通の気分に戻っちゃったじゃないか。
とはいえ、書かずにほっといても解除されるんで、まあいいんじゃないでしょうか。
文頭で12時って書いたのにもう14時になってるし。
ここに書いたことで感情の記録が残ったんだから、消え去るよりいいってもんです。
たぶん、楽しかったって気持ちを出さずにいられなかったんでしょう。
何が楽しいのか忘れ去ってるもんだから、わけわからん日記になっただけで。
楽しいってのは本来よくわからないもので、それに気付かず
楽しさとはなんぞやとか考え出すと、
いつか何も楽しくなくなってしまうんでしょうね。
ものを語るという行為は、楽しさを分解して文脈を再構築する作業だから、
だからこそモノ書きは壊れやすいんじゃないかなあと思う次第でございます。
ほとばしる熱いパトスで神話になればいいじゃない!